『ひらがな日本美術史』橋本治
以前このシリーズについては、ちょっとだけ感想を書いた(http://d.hatena.ne.jp/zeroset/20070223/p1)。今までシリーズ全般にわたって飛び飛びにトピックをつまみ読みしてたけれども、今回、図書館から借りてきて、初めからきちんと読んでみた。
以下、特に印象に残った部分を、メモ的に。
1.まるいもの「埴輪」
観念は結構美しく、現実は結構楽しい。その二つのことが同時にないと、やはりおもしろくない。「そうではなかろうか?」と問いかけているのが、この埴輪という、美術史以前の「幸福な表現」ではなかろうか。(p22)
単に第一章だけではなく、『ひらがな日本美術史』シリーズ全体を通したテーマとなっている一文。
5.聖徳太子であるようなもの「法隆寺釈迦三尊像」後編
"日本的"とは"なぞる"と言う過程から生まれた、既に調和を持って完成しているものを更に柔らかくソフィスティケイトしていく方向性なのだ。だから、そこから"自由な造形"へと向かった<<救世観音像>>は、リアルで柔らかな肉体性を持つ。(p62)
6.不思議に人間的なもの「中宮寺菩薩半珈像」
「不思議に人間的なもの」というのは、リアリズムの補足から外れたところに潜んでいるもの、それこそが、"表現"という素晴らしい嘘をつく人間の、正に"人間的な"特徴なのだろう。(p72)
9.無慈悲に美しいもの「源氏物語絵巻」
「これはね、君の知ってるような、"悲しさ"とか"寂しさ"を描いたものなんだよ」(p101)
これは、中学生の頃の作者自身に向かっての言葉。
17.愛すべき美しいもの「三嶋大社の梅蒔絵手箱」
平安時代の図案は、様式化されたものが主流だった。ある意味観念的な世界と言っても良いかもしれない。それが鎌倉時代になってから、どう変化したか。
つまり、我々日本人は、鎌倉時代になって初めて、「自分達の身の周りには、"美しい愛すべきもの"が存在している」ということを肯定したと言う事である。(中略)「写実」という、ある意味では野暮な言葉をかぶせられている鎌倉時代は、そのような意味で、その後の日本人にとって最も重要な"美しいもの"を発見し確認していった時代である。(p182)
19.人として共感できるもの 運慶作「無著菩薩、世親菩薩像」
この二体の菩薩像の顔面を大写しにした写真をはじめて見たときには、自分もかなり衝撃を受けた。中世に作られたことなんて忘れさせられる、今、そこにいる「人生の苦楽を味わい尽くした人」の顔。
晩年の、興福寺北円堂の諸像を作っていた頃の運慶にとって、"人を超えた仏"と、"人であることをそのままにして、なお志すことをやめない求道者"とでは、どちらが"信じられるもの"だっただろうか?その答は、はっきりしていると思う。
晩年になって運慶は、謙虚にも"人"であることを選んだのだ。(p202)
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