『夢みる宝石』シオドア・スタージョン

 最近とみに再評価の進むスタージョンの長編SF。ついこの間早川名作セレクションの一冊として大きい活字で復刊された(下の画像リンクも復刊版)けど、自分が読んだのは大分以前に買ったきり積読だったもので、93年頃刷られたミルキィ・イソベ装丁版(表紙の変遷についてはここを参照のこと)。
 1969年の現代SF全集訳出時に書かれた訳者あとがき(現在の版では別の人による解説に代えられている)には、やたら「難解」という言葉が並ぶ。あげく「スタージョンを理解するには一度発狂しなければならない」などという引用まで飛び出してくるくらいだ。しかし現代の目から見ると、言うほど異常・難解な小説には感じない。月並みな言い方になるけれど、これはやっぱり時代がスタージョンに追いついた、ということなんだろうな。
 校庭の裏で蟻を食べているところを見つかった主人公のホーティは、養父に折檻を受けて家を飛び出す。美しい小人のジーナと出会った彼は、彼女の「妹」としてカーニヴァルに潜り込み、フリーク・ショウに出演することに……この導入部からして、当時(50年代)のSFとしてはかなり奇妙な感触を受ける。特にホーティが女装するシーン、彼と同衾したジーナがすすり泣くシーンなどは、当時のSFらしく描写自体は素っ気無いものの―それ故に想像力が働くのか―異様に官能的で印象に残る。ジーナたち畸形の登場人物に対する作者の視点はあくまで優しく、彼女たちの前では、冒頭から意味ありげに登場した「隣の家の少女」ケイも印象が薄い(結局、ただの狂言回しになってしまうのだ)。
 物語の鍵となるのは、太古より地球に飛来してきた知性を持つ宝石たち。このきらびやかなイメージに比べ、本作に登場する悪役達のみみっちいこと!一人はただのセクハラ親父だし、もう一人は医者になれなかった逆恨みで人類を滅ぼそうとする男。その方法と言うのがまた、カーニヴァルで全国を回るのを利用して各地に毒蛇やバイ菌をせっせと撒いていくというもので、このせせこましさ、何だかいじらしい気持ちにさえなってくる。……でも、そこが良い。人類を超越した力を持ちながら、何をすると言うでもなくひたすら夢を見るだけの宝石たち。美しいが脆く、人類と隔絶した思考形態ゆえコミュニケーションを取ることすら出来ない彼らと、卑小だが愛すべき人間たちとの対比が素晴しいです。

夢みる宝石 (ハヤカワ文庫SF)

夢みる宝石 (ハヤカワ文庫SF)