『愛の続き』イアン・マキューアン

 主人公の名はジョー・ローズ。科学ジャーナリスト。彼は恋人とのピクニックの最中に気球事故に遭遇し、男の墜落死を目撃した。ショックを受ける彼に、偶然その場に居合わせた青年が語りかける。神様はぼくらをこの悲劇で結びつけた、と。青年の名はジェッド・パリー。その時からジェッドはジョーに執拗に付きまとい始める。「あなたはぼくを愛している」……。
 新潮クレスト・ブックスから出てた単行本の文庫落ち。「Jの悲劇」という、ちょっと微妙なタイトルで映画化されるのに併せての文庫化らしい。この機会に、早川書房から出てる単行本も文庫化されないかなあ。
 あらすじで分かるとおり一種のストーカーものではあるのだけれど、ジェッド・パリーを巡る話と同じくらいのウェイトで、主人公とその恋人クラリッサの関係も語られる。愛とディスコミュニケーションの物語。最後、ちょっとしたサスペンスとアクションの末、死線を潜り抜けた主人公に対して、クラリッサが行う仕打ちがまた……理不尽というかなんというか。しかし「理不尽」ではあっても「不条理」では無いところがリアル。ある種の(大半の?)女性って、確かにこういう考え方をするもの。一方で科学ジャーナリストである主人公の思考パターンって、ある種自分と共通するところもあって、人事じゃ無かったりするんだよなあ。はいはい、確かに人間は理屈だけで動くものじゃ無い、それは判ってるよ。でも、自分は筋が通ってないと我慢できないんだよっ!……うわあああああああッ クラリッサの手紙を読んで、過去のモロモロがフラッシュバック、頭を抱えたくなったのは自分だけではないはずだ(よね?)。
 お互いを十全に理解する。生きている自分の存在を、まるごと肯定してくれる。それが愛だとすれば、この世にはそんなものは存在し得ないのかもしれない。とは言え、ラストシーンでは、この達観を受け入れた末の、それでも人と人が触れ合い、助け合う可能性を示唆していて、不思議に穏やかな余韻を残してくれる。マキューアンの、こういう「暖かさ」は好きだな。


 ところが実は、この世にも真の愛は存在する。それは狂気の中から生まれる愛であり、また、「神」への愛である。コミュニケーション自体が存在しえないからこそ、それは真の愛と呼ぶに相応しいものとなるのだ。現在でも強力な力を持つ世界宗教ユダヤ教キリスト教が「神の沈黙」から生まれたことは、その意味では必然的なことなのかも知れない。なお、作中にはジョーが、宗教の誕生を進化論から説明しようとする場面がある。最近読んだ本ではロバート・J・ソウヤーのSF「ネアンデルタール・パララックス」でも信仰心を進化論的に説明する場面があった。しかし(いわゆる)神秘体験の存在を必要とするソウヤーの論よりも、自己欺瞞が集団で果たす適応性を語るマキューアンの方が、ずっと説得力があると思う。

「(略)人生においてもっとも尊重される経験のひとつである愛が精神病と区別がつかないという事実は、時としてわれわれ人間には承服しがたい」のである。
(p370)

 ジェッドの最後の手紙は、本編が終わった後、「付録」と言う形で挿入される。それは「物語」が終わった後も、彼の愛が永遠に続くことを示しているのだろう。そこにはある種の崇高さの源泉をも、見いだせるのである。

愛の続き (新潮文庫)

愛の続き (新潮文庫)