『バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン』フランク・ミラー

zeroset2005-09-01

 近未来。街にはびこる犯罪を目の当たりにし、ついに復活した老バットマン。彼は無軌道な若者たちを配下に収め、政府の犬と化したスーパーマンに戦いを挑む。パワードスーツを着込み、ゴッサムの全電力を叩き込むバットマン。だがこの戦いは真の敵、国家権力と戦うための周到な計画の一部に過ぎなかった。(『ダークナイト・リターンズ』)
 そしてそれから3年。自ら訓練した自警団を率い、地下より復活したバットマン。だがスーパーヒーローたちは、人質を取られてアメリカ政府の意のままに動かされていた……。
 アメコミの歴史を変えたと言われる『ダークナイト・リターンズ』、その続編。名作の、それも極めて綺麗な形で完結していた作品の「続き」と言う事もあって、賛否両論の著しい―むしろ失敗作とするのが一般的かもしれない―作品だけれども、個人的にはかなり面白かった。コミックとしての完成度はともかく……。
 本作を読んで一番印象に残るのは、その毒々しさ。カラー作品なのにモノトーンのようだった渋い前作に対して、原色の乱舞する派手な色使いの今作。描線もコマ使いも荒々しい(後半になるに従って大ゴマが増えてくる)。出てくる男はみんなシワだらけの爺さんで、姉ちゃんは巨乳でコスプレ(か、全裸)。唯一出てくる若い男はラスボスだ。ヒーローに巨大な回し車を回させて合衆国の電力をまかなうだとか、全身タイツを流行らせて意識革命、とか冗談としか思えないような設定と筋運び。そして乱舞するスーパーヒーローたち。スニーカーを履いたフラッシュ。もはや人間ですら無くなったグリーン・ランタン。出てくるだけで絵面に異化作用を及ぼすエロンゲイテッドマンとプラスチックマン。スーパーマンワンダーウーマンのロマンス。憎憎しげな悪役たち。
 ここに描かれているのは前作に書かれたような人間としてのヒーローではなく、ヒーローという名の神々なのだろう。スーパーマンの最後の言葉が、クラーク『2001年宇宙の旅』のラストフレーズを彷彿とさせるのは偶然じゃないはずだ。そう言えばギリシャ神話だって聖書だって、そしてヒーロー・コミックスだって、元々は華々しくも毒々しい世界じゃ無かったろうか。センチメンタルな憐憫はもう必要無い。もしヒロイズムが野蛮なものであるならば、野蛮で無いかのように振舞う事は正しくないだろう。目もくらむようなヒロイズムを、ブラック・ジョークと悪趣味で包んだ、新しい神話の形をフランク・ミラーは示してくれたのだと思う。

バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン (JIVE AMERICAN COMICSシリーズ)

バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン (JIVE AMERICAN COMICSシリーズ)