『分子進化学への招待―DNAに秘められた生物の歴史』宮田隆

分子進化学への招待―DNAに秘められた生物の歴史 (ブルーバックス)
 日本が誇る進化理論「分子進化の中立説」を打ち立てた木村資生に直接師事した著者による、分子進化学の入門書。本書は大きく分けて、中立説および分子時計の理論的基礎を解説する第一部「分子進化のしくみ」と、分子時計を利用して判明した、生物種間の系統関係の新事実を解説した第二部「分子でたどる生物進化の道筋」で構成、さらに第三部では形態的な進化と分子進化との整合性を取る試みが紹介されている。
 自分は中立説については、それこそWikipediaでの解説程度のことを漠然と理解していたに過ぎないが、この本の第一部を読んで、もやもやとしたところがすっきりしたような気分。例えば「突然変異には生存に不利にも有利にもならない中立的なものがある。中立的な変異は淘汰によらず偶然により種内に広まっていく」ということは知っていても、その「中立的な突然変異」なるものの具体像が分からないでいて、このへんがもやもやした感じだったわけだが、この本の説明で初めて合点がいったような気がする。遺伝子の中でも、タンパク質の分子構造上重要な部分(例えば他の分子とくっつく部分)じゃ無いところをコードする箇所は、変異がおこっても表現系としては現れにくいわけで、こういうものが「中立的な突然変異」となるわけだ。また、遺伝子の重複が中立的な変異を蓄積させる重要なファクターとなっている、という件も面白い。
 第三部では逆に器官・組織レベルの制約が、分子進化に影響を及ぼす可能性を示していて、これもかなり興味深い。例えば地下に住む視覚が退化した動物の目の遺伝子の進化速度は、普通に視覚のある生物よりもはるかに早かったりする。要するに「いらなくなった器官」ゆえに、逆に淘汰の制約から逃れて自由に変異を蓄積できるようになったということ。たまに非プロパーと思しき人の文章で、中立説を(今西進化論なんかと共に)ラマルキズムと関連づけて紹介するものを見かけるけど、この事実から言っても、(ダーウィン進化論を修正する説ではあっても)用不用説とは真逆だと思うんだけどなぁ。
 第二部については「系統関係の新事実」とはいってもこの本自体がもう10年も前に出版されたものなので、自分としては他の本などで断片的に読んでいたことばかりだった。それでも、系統関係の解明過程の解説は、とても興味深く読めた。もちろん、生物の分類について、分子解析以前の知識でとどまっている様な人なら、更に新鮮な驚きを与えられると思う。例えば、超生物界は真核生物と、細菌、古細菌の三つに分かれ、真核生物は系統的に古細菌に近い、とか。このあたりについては、執筆当時よりPCRと廉価で高性能のコンピュータが普及した現在なら、不確定な部分もはっきりし、更に面白い事実も分かっているのではないかという気もする。その辺りをまとめた本、無いかな。