『ひらがな日本美術史3』橋本治

 第3巻は室町から江戸初期へ、すなわち近世のとば口を扱っている巻。今回もいくつか、気になった言葉をメモ。
45.身分の低かったもの「辻が花小袖」
 平安時代、身分の高い女性たちは、「小袖」という服の上に「大袖」というものを羽織っていた。袖の小さい「小袖」は下着のようなものだったのだが、やがて機能性を買われて上着となる。今でいえば、まさしくTシャツのような感覚だが、これが庶民だけでなく上流階級の間でも流行ったのが、室町という時代だった。やがて江戸時代になると「振袖」の登場によって廃れる、要するに過渡期の産物だったわけだが、それも含めて、時代を象徴する着物であったと言えるのだろう。

 辻が花小袖は、天下人のいる世界に入った。その名は消えて、しかし辻が花の"本質"は消えなかった。辻が花の"本質"とは、大胆で、明快で、貧乏でもあるよううな"美"−すなわち、「大衆性(ポップ)」なのである。(p60)

47.カッコいいもの「秦西王侯騎馬図屏風」
 どこからどうみても西洋の技法で描かれた、西洋の騎士の絵画。これを屏風に描かせて、日本間に堂々と飾っていた、安土桃山時代の殿様たちの格好良さ!

 日本人は、平気で「外国」というミスマッチを調和させてしまう。その外国が、あるところに限定されてしまったとき、日本文化のせせっこましさが生まれる。近代日本の「欧米=先進国」と考えてしまう欧米第一主義は、それ以前の、中国を「日本文化の宗主国」と考える中国第一主義の変形だろう。しかし、ヨーロッパからの「進んだ文化」を輸入していた安土桃山時代の人間にとって、別に中国はそうそう特別な国ではなかった。「進んだ文化」のヨーロッパ人だって、「南蛮」だった。こういう日本人にとって、「外国」というものは、全て等分に「自分たちが必要とするミスマッチを演出してくれるようなもの」でしかなかったのである。慣れていないと言えば、我々はこの偉大なる感覚に慣れていない。
(p80〜81)

53.白いもの「姫路城」
 自分の地元には桃山様式の城が、そのまま現存している。天守閣が黒く塗られ、こじんまりと無骨な城を見ていると、『乱』で井川比佐志が演じた"くろがね"みたいに鎧兜で身を固めた侍が、今にもひょっこり顔を出しそうな感じがして昔から好きだった。
 このように黒い城というと、いかにも無骨という印象があるが、実際には蒔絵などを見て分かるように、古来日本で美しい色というと黒なのであって、あれは装飾として黒く塗られたものなのである。むしろ白い城の方が、耐火のため漆喰で固めた機能性本位の建物であったということらしい。

 「白いものは美しい」という考え方は確かにある。しかし「白いから美しい」じゃない。姫路城の見せる"構成の美"が何によるものかを考えればいい。「全部白にする。美しさは一切排除だ」という前提で、この城は造られた。だとしたら、これを造る職人はどう考えるか?彼等は当然、「ようがす、白く塗られても十分にきれいなように、最高に美しい形を作りましょう」と考える。姫路城の"深さ"は、そういう質の美しさによるものだと思う。
(p161)

ひらがな日本美術史 3

ひらがな日本美術史 3

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