『ハイブリッド-新種』ロバート・J・ソウヤー

 ネアンデルタール・パララックス最終巻。ネアンデルタール人の世界とグリクシン(ホモ・サピエンス)の世界の交流は続き、メアリとポンターの愛情も深まっていく。メアリは子供を望むが、そのためには異なる種どうしの遺伝子を結合させる技術が必要だった……。
 どうにも評価に困る作品だ。前巻でほのめかされていた、意識の発生を巡る議論は軽くスルー。SFとしては、そこを一番期待してたのに。代わりにしつこい位に繰り返されるのは牧畜・農耕と宗教、男性は諸悪の根源である!という作者の主張なのだが、そうなると今度は作者の考えの底の浅さが鼻に付いて堪らなくなってしまう。解説でも突っ込まれていたが、文庫本三巻もかけて大量消費文明を批判した挙句の最後のオチが「ケンタッキーフライドチキン最高!」ってのは、悪い冗談としか思えない。いつもなら「アハハ、ソウヤーって本当にヘンだよね!」で済むんだけど……。あと、面白いんだけど三巻もかけて語るような話か?とは思った。結局最初の『ホミニッド』で言いたいことは言い尽くしてるわけだしなあ。
 そもそもあれだけ人口密度が薄く、大量消費文明を持たないネアンデルタール社会で、人類社会以上に科学が発達しているのはどういうことなんだ?『占星士アフサンの遠見鏡』を読んだときも思ったことだが、どうもソウヤーって人は、科学文明の発展は、少数の天才さえいればなんとでもなる、というような異様に楽天的な考えを持ってるらしい。しかし実際、例えば分析機器一台を取ってみても、その開発から安定した製造に至るまで、どれだけの人手、資源が費やされているか、ちょっと想像してみれば分かることだと思うのだが。良くも悪くも20世紀の急速な科学技術の発展は、石油という安価で扱いやすいエネルギー源の開発と、それに伴う資源の大量消費抜きでは考えられない出来事であって、人的物的資源の有効配分とか人類自体の品種改良といった、本作で語られている程度のやり方で何とかなるものとはとても思えない。
 と、まあ悪い点ばかりあげつらってみたが、そこは腐ってもソウヤー、リーダビリティは相変わらず高く、読んでる間は(疑問を感じつつも)とても楽しい時間を過ごすことができた。ラスト前、地磁気逆転のもたらした皮肉な結果も、ニヤリとさせられるものがあるし。また、ネアンデルタール人特有の家族制度も面白い。同性の配偶者と異性の配偶者の両方を持ち(つまりネアンデルタール社会は皆、バイセクシャルなのである)、…男-男-女-女-男-男-……と婚姻関係が数珠繋ぎになっていく社会。大半の時間は同性の配偶者と過ごし、異性の配偶者と過ごすのはわずかな期間のみ。このあたり既婚者としては、良く考えてるよなあ、と思ったり。さすがは、どんなに荒唐無稽な話でも中年夫婦の危機の話を必ず入れる、ソウヤーらしい発想なのかも、なあ。
 

ハイブリッド―新種 (ハヤカワ文庫SF)

ハイブリッド―新種 (ハヤカワ文庫SF)