『ディアスポラ』グレッグ・イーガン

 人類の多くがその人格をソフトウェア化し、ポリスと呼ばれる仮想現実空間で永遠の命を謳歌する未来世界。トカゲ座の中性子星連星の異変をきっかけに、「ディアスポラ」計画が開始される。全住民ごと「ポリス」のコピーを千体作成、それぞれ千の星々へと旅立ち、知的生命を探索するのだ……
 うーん、面白い!でも難しかった……熱出そうになったよう。そもそも冒頭、第一部最初のパートからして難物だ。ここは主人公であるヤチマの精神が創り出され、自意識が発生する過程を、ソフトウェア側から描写するパート(ヤチマは人間の親を持たず、純粋にソフトウェアのみから作り出された「孤児」と呼ばれる人格である)。

 <創出>が孤児を作りだすときは、模倣すべき、あるいは満足すべき親と言うものがないので、良性の変異が起こりやすい形質フィールドのすべてに、ランダム抽出した妥当なコードをセットする。それから未確定フィールドを千個選択し、それをほぼ同じかたちで処理する。千個の量子サイコロをふって、未知の土地を通るルートをランダムに選ぶわけだ。孤児はみな、未踏査領域のマップ化に送り出される探検家だった。
 そして孤児はみな、本人自体が未踏査領域でもあった。
(p18)

 ……しかしイーガンの上手いところは、細かい描写が理解できなくても、読んでる内におぼろげに話の輪郭が掴めてくる事だと思う。ここも何が何だか分からないまま読み進めているうちに、何となく話が掴めてくるのがミソ。とりあえずDNAから人間の肉体が発生する過程になぞらえる形で、ヤチマの精神が創出される過程が描写されているらしいな、とか。それから、事物とそれに対する反応からニューラルネットが形成され、他人との交流から「他人の考えを読む」ことを覚え、やがてそれを自分に対して適用する事で、自意識が発生していくとか、そんな感じ。
 その後も「真理採掘」でのトポロジー講義、第三部での「コズチ理論」を巡る議論(超ひも理論をベースにしているらしいことは判るんだけれども、そもそもその超ひも理論事体が良く分からん)でめげそうになるものの、ここらへんは1-02-05で復習して何とか乗り切りった。図があると、おぼろげながらにも輪郭が掴めるのが嬉しい。
 ここまで来れば、イーガン版スタートレックとでもいうか、いよいよ本題のディアスポラ計画の開幕だ。太陽系外宇宙で人類を待ち受ける、驚くべき生命体の数々。惑星オルフェウスの「ワンの絨毯」。十六次元生命体。惑星スウィフトに、想像を絶する方法で残されたメッセージ。5次元ヤドカリとのコンタクト……。ここらあたりかラストにかけての展開は、ちょっと壮絶というか、凄すぎ。


 このように、日常感覚から遠く離れた、想像力のフル使用を強いられるような情景を矢継ぎ早に繰り出しつつも……それでも物語の芯は、個人レベルでの切実で普遍的な問いかけを、決して離れることが無い。上記で引用した部分、個人の精神の千の未踏査領域についての記述は、「ディアスポラ」計画、千の星々への探査計画としてマクロなレベルで反復される。世界を理解すること、別の文化を理解すること、他人を理解すること、そして自分自身を理解すること、これらはみな繋がっている。世界を理解するためには、自分が変化しなければならない。だが、それは自分を理解する事でもあるのだ。変化しつづける事のみが、記憶や体験によって変わることの無い、自分を自分として成り立たせている何か、を知る手段なのだから。
 巻末解説には、この本が読者が過去読んできた宇宙SFの記憶を呼び覚まし、さらにその先へ導く、との言葉がある。自分が思い浮かべたのはクラークの『2001年宇宙の旅』だった。宇宙の果てで赤色巨星を眼下に眺め、人間世界から決定的に隔絶した孤独のなか、それでも知的興奮に高揚感を覚えるボーマン船長。自分だったらどう感じるだろう、この孤独を、この興奮を。12歳だった自分は、この場面を、何回も何回も繰り返し読んだ。SFの黄金時代は12歳だと言われる。それは肉体と精神の変化の只中で、世界を理解し始める年齢だからなのだろう。

あらゆる文学形式の中でSFだけが与えうる深い感動。そのもっとも純粋なかたちがここにある。
大森望による解説より)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)