ナウシカ特攻隊論争

映画「風の谷のナウシカ」公開当時に話題になった「ナウシカ特攻隊論争」について。概要を解説したURLでもいいですし、当時のことを覚えていらっしゃる方はあらましを教えてください。
 はてなにこんな質問があった。「もしやあのことかな」と思い、おぼろげな記憶を元に回答してみたのはいいものの、なにしろ20年も前の本だし、最後に読んだのも10数年前のこと。ググっても「SFの本」の資料自体web上にほとんど無く、楽天オークションにあった6号の書影くらいしか見つからなかった。だから自分でもどうも自信が無く「ンな訳ねーだろ!」とかツッコまれないかとドキドキしながら推移を見守っていたのだが。
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 そうしたら「さて次の企画は」の乙木一史氏からも回答があり、なんと、ちょうど該当の本を買ったばかりだったとの事。読んでみると自分の書いたことは大筋では間違ってなかったようで、かなりほっとした。
 それにしてもここで引用された吉松氏の文章は懐かしい。当時の自分の感想は、はっきり言うと「イタい」というものだったのだが、今読むと、むしろその熱さに感慨を覚える。あと、同じ号にはやくも山形浩生巽孝之間のバトルがあったというのにはびっくりした、というか笑った。実家に帰ったら読んでみよう。
 あと、この号ではトーレン・スミスだったか誰かが「日本のアニメは主人公が最期に死ぬのが良くない。世界で受けるのはハッピーエンド」とか書いてて、ナウシカ論争とのシンクロニシティに苦笑いした記憶がある(まあ、これまたあやふやな記憶なんだけど)。トーレン氏(だったか誰か)が困惑していたのは、日本アニメの主人公の必然性の無い死であって、(良く言われるように)映画ナウシカも結果オーライだったというだけで本当はあそこで死んでどうにかなるという必然性は無い*1。どっちかっていうと彼岸の論理に突き動かされた死であって(だからこの世的な意味での必然性はあまり必要としない)、忠臣蔵あたりからずっと日本人に人気のある物語、「心中」的な性格の自己犠牲と言えるんだろうなあ。もっとも特攻隊の場合は、物語と現実が齟齬をきたしてた訳だが。

*1:例えば「王蟲の怒りを静めるには人身御供が必要」なんて伝承が提示されてたり、「子供を群れに返すためにはナウシカも一緒にいなければならない」という状況だったら別だが、そんな理由付けは無かったし。