『ドクター・ブラッドマネー』P・K・ディック

 核戦争後のアメリカ、崩壊した社会の中で人々は懸命に生きていた。そんな人々の支えになっていたのは、衛星軌道上に取り残されたウォルト・デンジャーフィールドが放送するラジオ番組。彼の軽妙な喋りと懐かしい音楽は人々を癒し、社会再建への意欲の糧となっていた。しかし、孤独な宇宙船のなかでただ一人、彼は深刻な病にかかっていた……。
 と、いう訳で久々のディック。長編を読むのは『ライズ民間警察機構』以来になるかな。本作はディックにしては大人しめの展開。核戦争後にしては、妙にのどかな感じなのが不思議な読後感を生んでいる。片田舎を舞台にして、狭いコミュニティ内の人間関係のあれこれを軸に、物語はゆっくりと進んでいく。
 超能力を持つサリドマイド児ホッピーは、クライマックスでデンジャーフィールドに成り代わって人々の精神的支柱になろうとする。このあたり『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』などを彷彿とさせるところもあるのだが、ホッピーの野望にはどこか小市民的ないじましさがあって、妙なペーソスすら感じさせられるのが面白い。そんな彼に対抗するのが畸形膿腫のビルで、双子の姉の体内にいながら超能力を使ってホッピーの野望に対抗することになる。亡くなった双子の妹がディックのオブセッションとなっていることは有名だが、同じく妹萌えだった漫画家手塚治虫と同じ道具立て(超能力を持った畸形膿腫)を使ってるのは興味深い。
 ビルの母ボビーが、ミュータント・ブルドックとロボット捕獲器の追っかけっこを見つめている場面で、物語は終わる。この場面、ほとんど40〜50年代のカートゥーンだったりするのだが……ここでウォルト・デンジャーフィールドという名前から、ウォルト・ディズニーを連想するのは穿ちすぎだろうか。古い流行歌や漫画と言った、俗っぽくてつまらないものが希望となるのがディックの世界。それは大文字の「希望」なんかじゃなくて、「そこはかとない希望の様なもの」なんだけど、それがいいんだよな。だからこそ信じられる。