『天狗の落し文』筒井康隆

トンネルを抜け出て、トンネルに入る僅かの間に見える谷間の村。
列車の乗客にとっては五秒の村。村の歴史は千五百年。

 上記の文章はこの本に収録された作品の一つ。抜粋じゃなくてこれで全文である。こんな感じで数行から2・3ページ程度のショートショートやエッセイの断片……というか、筒井康隆のアイデアノートをそのまま出版しました、という感じの本。面白いアイデア、唸らされる表現がいっぱいあるんだけれど、やっぱりきちんとした小説の形で読みたいなあ、というのが正直なところ。というか、アイデアそのままにこんなに放出しちゃって、もったいないオバケが出そう。
 もっともファンとしては、作家の思いつき・発想の素のかたちが見られて、それはそれで楽しめるのが痛し痒しという感じ。いくつか読んでいると、これを初期筒井だったらどんなドタバタに仕上げたろうか、「家」の様な短編として完成してたら、どんな幻想的な小説になったろう……などと想像して興を得ることも出来る。
 単行本の帯には「使用権フリー」「盗用御自由」などというコピーが踊っている。もしかしたら、自分すら思いもよらない形でこれらのアイデアを小説として完成してくれる作家が出てくるのを、筒井自身が密かに楽しみにしているのかも知れない。そう言えば死について、老いについて、自分に残された時間は僅かである、という内容の文章が一番印象に残ったのだった。

天狗の落し文

天狗の落し文