『失踪日記』吾妻ひでお

失踪日記
 初めて吾妻ひでおの本を買ったのは高校二年のころ、本屋で双葉社のHideo Collectionシリーズの一冊、『陽はまた昇る』の表紙を見たのがきっかけだった。それ以前から『ふたりと五人』『チョッキン』『ハイパードール』などは断片的に読んでいたのだが、精読したのはこの時がはじめて、絵が可愛らしいのでつい買ってしまったのだが、実はこの本、「ローリング・アンビバレンツ・ホールド」「夜の魚」と、ディープ・吾妻を象徴するような短編ばかり集めた作品集なのだった。衝撃だった、としか言い様が無い。いわゆる「私SF」(私小説+SF)なる言葉を知ったのはそれより後、筒井康隆の『脱走と追跡のサンバ』の解説を読んだときで、もちろんそれまでもメタフィクション的な手法を使った小説は読んだことあるのだが、それらとは全く違う。このような形で虚構と現実を融合させる手法があったとは、本当に思いもしないことだったのだ。それからは熱に浮かされたようにこの作者の本を集め、読み耽った。……もっとも吾妻はこの頃からスランプに陥り始め、挙句は失踪に至るのだが、その頃の自分には知る由も無いことだった。
 さて『失踪日記』だが、吾妻ひでおの新刊がこんなに話題になるのも、20年以上ぶりのことじゃ無いだろうか。この本では失踪後の作者の、自殺未遂→路上生活→一端復帰するもまた失踪→肉体労働生活→再び復帰→アルコール中毒で強制入院、という悪夢のスパイラルの様な生活を淡々と、ひたすら客観的に描いている。どこか覚めていて客観的なのは、この作者の漫画の昔からの特徴だと言える。あまりに悲惨な体験なため、作者としても淡々とした描写でなくてはとても執筆出来なかった、ということはあるのだろうが、それにしてもこれほど強烈な体験をしたのにも関わらず、失踪前と復帰後で作風に大きな変化が見られないのは面白い。思い起こせば、あても無い旅に出たり、不定形の得体の知れない生物に変身したり、「どこ」の「だれ」でも無い「何か」への変貌の予感(それが憧れなのか恐怖なのかはともかく)は吾妻の漫画に繰り返し見られるモチーフだった。それに、アル中ネタだって十八番だったし。そう考えると、この漫画も一連の吾妻作品に連なるもの、「私SF」を裏返したものとして、すっきりと収まるような気がする。
 個人的に特に印象的だったのはアル中編、禁断症状が出て周りのものが皆恐ろしく見える場面だ。このシーン、はっきり言って物凄く怖い。経験した人じゃないと出来ない描写だろう。捕まった先の警察で、たまたまファンに出会って「夢」と色紙に書くシーンも、笑い事じゃ無いんだろうけど無茶苦茶笑える。あと、オカルト本を読む学生を見て「SF読めよ」と一人毒づいてみたり、やはりこの理性への信奉あってこその「シュール」だったんだな、と改めて思ってみたり。それにしても卵を巣の中に入れて通行人の反応を見てみたり、漫画を描けなくて失踪してるのにガス会社の社内報に漫画を投稿してみたり……やっぱり骨の髄まで創作家なんだなあ、この人。