『マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女』岡田温司


マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)
 自堕落な生活を送っていた娼婦マグダラのマリアは、イエス・キリストに出会ったことで信仰に目覚める。エルサレムでイエスが捕らえられた際、彼の弟子たちは皆逃げ去ってしまうが、彼女は最期まで付き添い、イエスの劇的な死と復活を見届けることとなるのだった。その後洞窟で数十年もの苦行を続け、天上を垣間見るほどの法悦を得た彼女は、やがて「使徒のなかの使徒」と呼ばれることになる……。
 キリスト教世界のヒロイン中でも一際陰影に富んだ彼女の生涯だが、聖書では彼女について「七つの悪霊に取り付かれていたのをイエスが救った」「キリストの磔刑と復活に立ち会った」と極めて簡単に記述しているに過ぎない。娼婦としての経歴や洞窟での苦行等のくだりは、まったくの他人である「ベタニアのマリア」「罪の女」「エジプトのマリア」などのイメージが混合して出来上がったプロフィールなのだ(このあたりの変遷については、フェミニズム神学の流れからも研究されているらしい)。
 本書では、西洋美術で描かれたマリアのイメージの変遷を通して、中世〜ルネッサンスバロック期の人々の、聖性への渇望と視線の欲望を解き明かしてくれる。図版が豊富なのが嬉しい。苦行でやせ衰えた老女、着飾った高級娼婦、天使に手を取られ天上を垣間見るエクスタシーに浸る美女、と様々なマリア像を見ているだけでも楽しいし、日本人としてはどうしてもスタティックで陰鬱な世界と見なしがちな、近代以前のキリスト教社会のバイタリティも実感できて興味深い。
 マグダラのマリアを自らの希望とした娼婦たち。官能的な絵画に現世の欲望と天上の法悦を重ね合わせる信徒たち。そして、民衆をコントロールするために、巧みにマリアのイメージを操作するカトリック教会。「娼婦にして聖女」というマグダラのマリア像は、数限りない人々の欲望が作り上げた虚像であったが、それ故にこそ彼女は「罪と赦し」というキリスト教の本質を具現化した「聖人」となったのだ。
 個人的にはカルロ・クリヴェッリの 『マグダラのマリア』が一番目をひいた。渋沢龍彦が偏愛し、最近ではサラ・ウォーターズ『半身』の表紙絵にも使用された作品。自信に満ちた冷たいまなざしが美しい。ティツィアーノやカラヴァッジョの作品も、それぞれ対照的なんだけど、どれもいいなぁ。