『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた (ハヤカワ文庫 FT)
 早川の<プラチナ・ファンタジイ>最新刊。ユカタン半島のキンタナ・ローを舞台にした連作短編ファンタジー

観光客がポラロイドを使い捨てる場所は、
むかしスペイン人が奴隷を使い捨てた場所。
ときどきはその観光客さえも、
五百年の墓場に仲間入りする。
恋をするならご用心、避けて通ろう、
あのきらめく波からのほほえみを。
(p16)

 キンタナ・ローのカンクンは、フロリダのオーランドと並ぶ、アメリカ人の一大リゾート地。日本の旅行ガイドなどでも、この二つは良くセットで紹介されている。しかし国家という観点から見ると、そこはアメリカでは無くメキシコである。更にさかのぼれば、マヤ族の土地であった。キンタナ・ローの歴史は収奪の歴史だ。その昔はスペイン人に、現在はアメリカ資本に骨まで食い尽くされている。
 そんなキンタナ・ローを舞台に、老境のアメリカ人作家を狂言回しとした連作短編が本書だ。「リリオムの浜に流れついたもの」は人魚伝説の一変形だろうか。大航海時代の亡霊との、ひと時の触れ合いがなんともエロティック。
 「水上スキーで永遠をめざした若者」はマヤ族の青年が主人公。ティプトリーお得意の“孤独な主人公が、本来自分のいる場所である別世界に旅立つ”話の一種である。ただ、その主人公のダイバー仲間による回想を、作家が聞いているという形式の話になっており、狂おしいまでの情念の感じられた「ビームしておくれ、故郷へ」などに比べると、あくまで客観的な目線を崩していない。所詮はグリンゴ(よそ者、アメ公)であるという立場から作者は出ていない訳で、このあたりのティプトリーの“想い”は越川芳明による解説を読むと、わずかなりとも理解できる。
 「デッド・リーフの彼方」は環境破壊に怒った大自然による、人間への復讐譚・・・・・・・と要約するとなんだか教条的なお話のようで、えらく雰囲気が違うような気がする。バラードの『沈んだ世界』のごとく、サンゴ礁上に広がる都市生活の断片。アルチンボルトの絵を彷彿とさせる“女”。テクノロジカル・ランドスケープと古典的な恐怖の組み合わせが、かなり印象的だった。
 全体的に、なんとなくファンタジイというよりは「幻想文学」といったほうがしっくりくる作品群だった。ティプトリーの硬質な語り口って、南洋の空気と合っていると思う(昔、ティプトリーを評するのにヘミングウェイを引き合いに出されたこともあることだし)。