『ビッグ・ノーウェア』ジェイムズ・エルロイ

ビッグ・ノーウェア 上 (文春文庫)
ビッグ・ノーウェア 下 (文春文庫)
 1950年代、赤狩りの嵐吹き荒ぶロサンゼルスに、3人の男達がいた。若き保安官補アップショー。彼は奇怪な連続殺人の解決に異常な執着を示していた。やがて法律の枠を超えたその捜査が、彼自身をも追い込むことになるとも知らずに。市警警部補コンシディーン。彼は息子の親権を手に入れるため、ハリウッドから共産主義者を一掃する特別捜査チームに就く。そして裏社会を生きる男、ミークス。彼は借金返済のため、かつての不倫相手の夫だったコンシディーンの捜査チームに協力するハメになる。全身に噛み跡を残す、異常連続殺人。ハリウッドに巣食う“アカ”たち。メキシコ人免罪事件。同性愛者の秘密クラブ。互いに無関係とも思われた数々の要素が、アップショーの執念の捜査により、一つに繋がりあうかに見えたとき……。
 エルロイ“暗黒のLA四部作”の二作目。一作目『ブラック・ダリア』三作目『LAコンフィデンシャル』は既に読んでいるから、順番が前後してしまったことになる。『ブラック・ダリア』はともかく、他の三作はかなり密接に関係しあってるから、順番に読んだ方が良かったようだ。
 情念の作家と言われるエルロイだけあって、今作も登場人物たちの“想い”が息苦しいまでに迫ってくる。複雑なプロットと膨大な人物数もあって、物語がヒートアップしてくると、眩暈を感じるほどだ。第2章終盤、のっぴきならない状況に追い込まれて混乱したある人物が、怒りと絶望、赦し、愛といった感情を脳裏に交錯させつつカタストロフィーに達する場面は、けだし圧巻と言うべきだろう。そしてそれを受けて第3章、ミークスが事件の解決を誓い、コンシディーンが一粒の涙を流す時、我々もまた一度本を閉じ、瞑目せざるを得ないだろう。それだけのパワーのある物語なのだ。
 とはいえ、単に情念を文章にぶつけているだけでは、この圧倒的な迫力は生まれないだろう。解説の法月倫太郎も指摘するように、計算された、緻密なプロットの構成あってこそのものなのだ。例えば上記の場面は、感情が最大限に盛り上がるシーンであるとともに、複数のプロットが一つに収束する、構成上でもクライマックスのシーンなのである。明らかに作者は、この二つが重なって最大限の効果を挙げることを意図しているはずだ。
 悪党だらけの登場人物。陰謀と劣情に満ちた人間関係。そして事件そのものよりも不快でグロテスクな、その原因。これら圧倒的な負のパワーに打ちのめされつつも、読後感は―へヴィでこそあれ―決して悪くは無い。作者の人間観が通り一遍のものでは無く、清濁併せ呑むかのような懐の深さを感じるからだと思う。我々は清らかでは無いかもしれないが、それでも生きていく価値と意味はある……と信じたい。