「タクラマカン」ブルース・スターリング

タクラマカン (ハヤカワ文庫SF)
 スターリングを初めて読んだのはSFマガジンに載ってた短編の「間諜」。当時高校生だった自分は、頻出する魅力的なガジェットから非情なオチに至るまで、とにかく全篇に漂うクールな雰囲気に参ったのだった。ガイジンのくせにサンディー&ザ・サンセッツとかサロン・ミュージックのファンだというのも嬉しく、たちまちこの作家のファンになった。日本版オムニに載った「火星の神の庭」とか、スゲェ、この短編スゲェよと、貪る様に読んだっけ。ところが何作か読む内に、自分の中で「雰囲気は無茶苦茶格好良いしアイデアも凄いけど、小説としてはイマイチ面白く無いかなあ〜」という様な評価に変ってしまったスターリング。「ネットの中の島々」を最後に、10年くらいご無沙汰になってしまったのだった。
 で、今回この作者の短編集を久しぶりに読んでみた。ありゃりゃ、かなり面白いじゃないの。自分が成長したのか、スターリングが変ったのか。(俺の好きな)ルディ・ラッカー同様のオフビートなユーモア、そして物語のユルさが心地良いね。それでいて、アイデア自体はエッジなものを扱ってるんだから!
 収録作の感想をいくつか。「招き猫」はインターネットでの「ギブ&ギブン」の思想と、日本の贈答文化が融合したら…というアイデアが素晴らしい掌編。短いだけあってキレが良く、この短編集の冒頭に置くに相応しいんじゃないかな。「クラゲが飛んだ日」「ディープ・エディ」あたりなんかも、これくらいの短さだったらもっとキマったろうに。
 「小さな、小さなジャッカル」はSFというよりはポリティカル・フィクションと言った方が良いかも。もっともPFと言って想像するような、生真面目な雰囲気は微塵も無い。ムーミン(もどき)の版権を巡って、フィンランドの片田舎の革命騒ぎに巻き込まれる、というプロットからしてユルいし、登場人物も皆どこかイカレてる。しかしその一方で、ロシアン・マフィアやオウム真理教、旧ユーゴのエスニック・クレンジングと、90年代以降の世界が抱える諸問題をヴィヴィッドに作品に取り込んでるのが、スターリングらしい所なんだろうな。とかく八方破れな登場人物の行動と、背景に垣間見えるおぞましい出来事の対比が印象的。
 でも、この短編集の白眉はやはり表題作「タクラマカン」だろう。アジア共栄圏が恒星間宇宙船を建造している、との疑惑を検証するために、タクラマカン砂漠奥地の奇怪な施設に潜入した主人公達。しかしそこでは、彼らの想像を絶する「実験」が行われていたのだった…。集中でもっともSFらしい一本。アイデアの中心にあるのは、少数民族問題という現代的な問題意識だが、それでいてSFで無くては書けない主題と情景を、たっぷりと含んでいるのが素晴らしい。読んでいて「アルファ・ケンタウリへの十三人」(バラード)、「ドミヌスの惑星」(ベイリー)そして作者自身の「巣」「火星の神の庭」など過去の名作群を想起した。やはりスターリングは凄いよ。「ホーリー・ファイアー」とか「グローバル・ヘッド」も補完しようかなぁ。