「アメリカン・スプレンダー」ハービー・ピーカー

 冴えない中年男、ハービー・ピーカーの情けない日常を描いたコミック。と、簡単に要約しても、この作品の面白さの10分の1も伝えられない様な気がするが、こうとしか表現しようが無いのも確かなんだよな…。レコードを盗もうとして失敗した話とか、女房にコーヒーを買ってくるように頼まれたのに忘れて怒られる話だとか、そういうのはまだドラマ性のある方。単に職場の親父とムダ話を延々としてるだけ、とか、レジ打ちの女にムカついた、だとか、要領の悪い同僚に切れて怒鳴り散らしてしまい、後でいかんいかん俺の悪いクセが出ちまったクビになったら大変だから気を付けようと反省した、だとか、そんな話が延々と続く。
 こんな本のどこが面白いんだ、と思われるかも知れないが、これが面白いんだから仕方無い。ハービーは読書と音楽が何よりも好きで、知的で有意義な生活をしたい、と切に願っている。しかし現実は単純作業をするだけの下っ端公務員。子供番組をダラダラ見て「結構面白いんだよな」などと言って休日の終わる男。陰気で社交性が無く、女にもてず、ケチで怒りっぽく、そのくせプライドばかりは高く…うわあああっ俺のことかっ、俺のことかあああ!身に摘まされ過ぎるんだよ!実際。まぁ、そこまででは無くても、この主人公の情けなさに自分を投影する人は多いだろう(だよね?)。
アメリカン・スプレンダー
 また、赤の他人のweb日記を読むような楽しさもある。もっとも、人の日記を読んで何が面白いんだ、と思う人間も多いかも知れないな。でも他人の人生の断片を覗き見ることに、独特の楽しさがあるのは事実だし、これって自己表現欲と並んで、人間の、結構根源的な欲望じゃ無いかなぁ。例えば洞窟に牛やらなにやらの絵を原始人が描いたものがある。これって、基本的には「今日この日、この俺が、この獲物を捕ったんだ!」という、抑え切れない自己表現欲の発散だと思うんだよね。だとすればその後、壁画を見て「あっ、誰だか知らないけど、こいつ余程嬉しかったんだろうなぁ」とニヤニヤしながら想像してる別の原始人がいたっておかしく無いと思う。そしてそれは現在、自分達が他人のweb日記を見て楽しむ気持ちと、心情的には違わないもののはずだ。
 この手の作品は、日本でもいわゆるガロ系の漫画家が得意にしているところだが、どこか手触りが違う気がする。あえて言えばつげ義春の漫画が一番近いかなぁ。ただ、つげの漫画の主人公の情けなさには、常に「芸術のため」というエクスキューズがある様に見える(個人的にはそういうところが好きになれない)のだが、「アメリカン・スプレンダー」の主人公にそういうものは無い。
 あと、露悪的であっても偽悪的では無く、この手のアングラコミックにしては陰惨な印象がしないのも好きだ。そう、薄っぺらな虚無主義に陥ることなく、常に人生に輝き(スプレンダー)を求める主人公の姿に、個人的にもっとも強い共感を感じるのだ。…もっとも、求めたから得られるというモノでも無い訳だが…。たぶんハービーは、これからもうだうだぐだぐだと呟き続けるだろう……そして俺も…。