『エンベディング』イアン・ワトスン

 イギリスの言語学者クリス・ソールは、孤児たちに特異な言語を教える実験を行っていた。一方、人類学者のピエールは、アマゾン奥地で原住民ゼマホア族と接触する。彼らは儀式時、トランス状態に陥って使用する謎の言語「ゼマホアB」を持っていた。そして太陽系に異星人が到来する。異星人とのコンタクト役に任命されたソールが知った、彼らの驚くべき目的とは……。
 イアン・ワトスンの公式処女長編(非公式な方は、コアマガジンから出版された『オルガスマシン』)。国書刊行会のSF叢書「未来の文学」シリーズの2冊目に当たる。もともとはサンリオSF文庫で翻訳予定だった小説であり、言語学を扱った先駆的SFであること、そして難解であることなどは知れ渡っていて、言わば「名のみ高い」状態だった。もっとも実際に読んでみると、特に詰まるところも無く、すらすらと読める。学生時代に読んだ『ヨナ・キット』などは相当難渋した覚えがあるが、この違いは、山形浩生による平易な訳文のためなんだろうか。それともイーガンや脳科学認知科学の洗礼を受けた後だからだろうか。
 ちなみに山形による解説文は、いかにもこの人らしいもの。訳者本人なのに『エンベディング』本編を批判的に語ってる。実を言うと自分、この文章読んで一回買う気が失せてたり。誠実といえば誠実だけど、セールス文にはなってないなあ。ただ、いつもの様に長文且つ丁寧な解説なので、本編を理解するためにとても役に立つ。
 プロット的にはいかにも荒削りな感じは否めなく、特に最初の方でソールやピエールと同格に描写されていたはずの登場人物が、最後の方ではいつの間にか死んでたりするところには苦笑させられる。でも……やっぱり面白い!SFの魅力ってのは、論理を玩ぶ楽しさっていうか「ままならぬ現実ならば、論理の力で捻じ曲げてみせる!」という強引さにあるんだなあと、改めて思った。そしてそれは、この小説のテーマ自体とも通ずることなのである。
 本作が主題としているのは、埋め込み(エンベディング)言語と現実の改変。埋め込み言語というのは、言葉の中に言葉が何重にも埋め込まれた言語のこと。「隣の佐藤さんは田中さんが受験しようと思っている大学で英語を教えている鈴木さんが食べようと思っていたチーズを齧ったネズミを追いかけてる猫に吼えている犬を撫でた」という感じに、要するに関係代名詞を次々と重ねまくる言語で、限度を越えると脳の短期記憶のメモリをオーバーしてしまい、人間には理解できない文章となる。小説中ではソールが、薬品で短期記憶を増強させた孤児たちに埋め込み言語を使わせる実験を行っている。また、ゼマホア族の使うゼマホアBも、同様の埋め込み言語である。しかし、抽象概念が周囲の環境に強く結びついている彼ら特有の言語環境とあいまって、ゼマホアBは現実世界を改変する力をも持つことになる! そして、ここで更にエイリアンも関わってくる。彼らは宇宙のありとあらゆる普遍言語を集めることで、「『言葉によって規定できる現実』を越えた現実」に飛翔しようとしているのだ……。
 こうして3箇所で進行していたドラマは、クライマックスに向けて一つに収束し始めるが、予想外の出来事が起こり、あえなく空中分解してしまう(この喪失感は、結構印象に残る)。結局最後に勝ったのは、理性(すなわち情報を意識的に再構成する能力)によらず、ありのままの高次な現実を受け入れたゼマホア族の者達だった。このオチは、なんとなくオルタナ科学的な臭みを感じないでは無いが、ここはまあ本作の書かれた時代性(70年代初期)によるものだと開き直って受け入れれば、そう気にはならない。むしろ、当時の政治状況に抑え切れない怒りを感じ、どうにもならない気持ちを小説の中に漉き込んだ、若かりし頃の作者の「熱さ」に共感したい。

エンベディング (未来の文学)

エンベディング (未来の文学)