橋本治はやっぱりイイ

 最近、橋本治の『ひらがな日本美術史』シリーズを図書館で読んでます。と言っても最初から通して読んでるのではなくて、ぱらぱらと、気を引いた記事だけをピックアップして読んでるんですが。
 最初にこの人にハマったのは、大学生になってからだったかな。それ以前、高校の頃に『デビッド100コラム』を読んでたりはしてたんだけれども、やはり大学生になってから、河出で次々と文庫化されたのが大きい。『ロバート本』とか『革命的半ズボン主義宣言』とか。分厚い単行本の『89』も、何度も何度も読み返しました。
 ところが最近は『「わからない」とはどういうことか』とか、買っても全然読まなくなってしまった。何時のころからだったかなあ、『貧乏は正しい!』シリーズとかあの頃かな、この人の文章を読んでも心がワクワクしなくなったのは。
 で、久しぶりに読んだ橋本治ですが、うーん、これは良いですね〜。10年以上前から連載が続いているらしいんだけど、今まで読んでこなかったのが悔やまれる。複雑な論理展開を、平易で魔術的な語り口で吸収させてくれる面白さ。第一巻最初の「埴輪と土偶の違い」を説き起こすところから、ぐいぐい引き込まれる。

 人間の住む世界の至る所に神や霊が付着していた時代が終わって、平明な生活の時代が来る。だからこそ、銅剣・銅鐸による国家的な力の集約が起こる。いたって日常的だった「戦い」と「呪術」が、「国家」という特殊なものの特殊な部分として集約されて来る。それを「国家による独占」と言う人もいるだろうが、民衆の側から見れば、「国家による肩代わり」だ。
(中略)
 民衆たちは「敵」だの「霊」だのいうややこしいものからとりあえず離れて、自分達の生活に向かいあえばいい。「子供がそのまんま大人でもありうる世界」とはそういう世界だ。
(中略)
 埴輪の平明、幸福とは、そのような質のものだとしか、私には思えない。
(『ひらがな日本美術史』p21)

 縄文時代=身分も貧富の差も無い、のんびり楽しい世界。弥生・古墳時代=富が集積し権力者が生まれ、庶民に苦しい社会が始まった……というような俗流歴史観を踏まえた上で、そこから独自の結論へと軽やかに繋がっていくところが、いかにもこの人らしい。硬直した価値観を揺さぶられる刺激があります。

ひらがな日本美術史 1

ひらがな日本美術史 1