『おことば 戦後皇室語録』島田雅彦

 皇室の公式発言を、島田雅彦が解説、考察するという趣向の本。皇室と『優しいサヨクのための嬉遊曲』の作家という組み合わせは良く分からなかったのだが、本書の記述によると、個人的に故高円宮との付き合いがあり、また小説の題材として皇室を取り上げたことがあるとのこと。
 天皇と言う存在について、極々一般的な知識しか持ち合わせていない自分のような読者にとって、なかなか興味深い事実が多く書かれている。例えば、皇室とキリスト教に案外深い関係があったと言うのが面白い。皇太子の家庭教師(ヴァイニング婦人)を選ぶに当たって、キリスト教徒であることをその条件としていたのが天皇自身だったとか、戦後一時期、皇室内で聖書講義が行われていた、など。
 また、昭和天皇が「内奏」という制度を使って積極的に政治関与を行っていた、との記述も興味深い。内奏については田中角栄時代に、問題になったことがあるそうだが、不勉強なもので、そういうことも知らなかった。

 ケネス・ルオフの「内奏」(臣下の正式でない天皇への上告)についての研究によると、昭和天皇は戦後、政治について相当踏み込んだ関与をしていた。日本国憲法の規定に反するため、「内奏」については秘密にされてきたが、みずからを「臣 茂」と呼んだ吉田茂のごとく、佐藤栄作などは熱心に天皇にお伺いを立て続けた。
(p57)

 戦後の、いや戦前の皇室に関しても、無力で受身の存在というイメージが強かったのだが、この本からは、人間的魅力に溢れ、存外したたかで複雑な内面を持つ人物としての昭和天皇像が垣間見える。当時の日本人としては突出してモダニストでありつつ、千年以上に及ぶ伝統を背負う長としての側面も持つ人物。無垢でナイーブな性格と、計算され尽くした言動のギャップは、直接的な権力というよりは、人間的魅力と、修辞などのテクニックによって激動の時代を生き抜いてきた一族としての性格が仄見える。
 そういう意味では、昨今の天皇家を巡るごたごたも、ものづくりに関わる技術者の高齢化などと同じく、「技術の継承」に関わる問題と言えるのかも知れない。

 平成十四年に急逝した高円宮殿下にプライベートでお会いして、「天皇という仕事」について伺ったことがある。「一、生まれてくること 二、結婚し後継者を残すこと 三、国民のためになるなら、率先して死ぬこと」この三つに尽きるといわれた。武士道にも通じる死生観である。この三箇条は極めて簡潔だが、実践するのは容易ではない。もちろん百二十五代にわたる「万世一系」の家系という、気の遠くなるような時間軸もある。「存続」のスペシャリストとしては、世界に類を見ない存在であろう。生き残り技術の蓄積は、どの一族よりも膨大であるはずだ。故高円宮三軒茶屋のある居酒屋で微笑みながら、こう呟いた。
 −徳川?たった十五代しか将軍の座を守れなかったじゃないですか。天皇家は百二十五代ですよ。
(p75)

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おことば 戦後皇室語録

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