「ハイエナ資本主義」中尾茂夫

ハイエナ資本主義 (ちくま新書)
 「失われた十年」という言葉があるが、90年代における日本の没落を語るのに、それを日本の社会の持つ構造的な問題が引き起こしたものと考える立場が有力である。この立場に経つ者は、得てして市場原理主義的というか、公的機関の民営化を進め、官僚による経済活動への介入を悪と見なす傾向がある。また一方では、グローバリズムを喧伝するアメリカにハメられた、との一種の陰謀論も根強い。しかし著者はこの二つを矛盾するものとは考えない。
 書名にあるハイエナ資本主義とはなんだろうか。それはグローバリズムと、アジアの伝統的な「クローニー資本主義」(たとえば官僚と企業の強い結びつきや、縁故・学閥などの人間的繋がりなど)と出合った時に生まれる矛盾に巣食い、それを食い物にする経済活動の事である。

わずか数年前まで「アジアの奇跡」を囃し立てた欧米のインテリジェンスが九七年のアジア危機を境に、途端に「クローニー資本主義」の大合唱に変わったが、そこに論理的整合性があるとは思えない。(中略)「勝者がすべて」という論理が支配するアメリカ系資本は、そういったアジアの「クローニー」性そのものをかれらの収益源とする側面が否めない(p120)

 ただ、もちろん彼らを非難しているだけでは何も変わらないのは確かである。生ゴミを荒らすカラスに怒るのは勝手だが、憤っている暇があるのなら、ゴミ捨て場に金網でも張るべきだろう。グローバリズムの食い物にされるのを防ぐためには、まず我々の社会を風通し良くする必要がありそうである。もっとも「ヤクザ・リセッション さらに失われる10年」 ISBN:4334933238、そのためには並大抵で無い努力が必要だろうが・・・(まずは政権交代が出来る様に成らなきゃならんのだが)。
 経済学はまったくの素人なので、専門用語等分かりかねる所も多く、読了するのに時間がかかった。ただ、どうも話題があちこちに飛んでいて、散漫な印象を感じたのも確か。最終章で著者は「アジア主義」を唱えており、アメリカ主導のグローバリズムに対抗して、日本、朝鮮半島、台湾、中国からなるEUの様な共同体を構築すべきだという森嶋通夫の意見を紹介している。しかし個人的にはその様な共同体を構築するほど、これらの諸国家が文化的に均質だとはどうしても思えない。著者が非難する「文明の衝突」を全面的に信奉してる訳でも無いのだが・・・。あと、前章では文化的なアイデンティティを保つためにも英語を第二の公用語にすべきでは無いと言っていたのにも関わらず、アジア共同体での共通語は英語に落ち着く、と何の留保も無く書いているのは矛盾じゃないだろうか。

追記(2017年10月19日)

 うわ、文中でベンジャミン・フルフォードなんか取り上げてた。『ヤクザ・リセッション』の内容はほとんど忘れてしまったが、この時点ではそこまでトンデモないことは書いてなかったような気もする。とはいえ、陰謀論的な論理は今と通底していた様にも思うし、私の不徳の致すところでした。